長崎県を訪れた時に立ち寄った平和祈念像の様子を紹介します。
平和祈念像へのアクセス
日本一周の車中泊旅中に訪れた長崎の平和祈念像。
車を平和祈念像の近くにある平和町駐車場にとめて出発。




坂の多い長崎県。駐車場から続く階段を登り高台へ。


坂が多く歩くのは大変ですが坂の上からの眺めは絶景です。


初めて見る平和祈念像
階段を登り高台へ上がると見えてきた大きな像。


いつか訪れてみたいと思っていた長崎の平和祈念像が目の前に。


像は想像していたより大きなサイズで近くで見るとすごい迫力。




平和祈念像の前には像についての説明もあります。




平和祈念像作者の言葉
あの悪夢のような戦争
身の毛もよだつ凄絶悲惨
肉親を人の子を
かえり見るさえ堪えがたい真情
誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆としてこの平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲
それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺余
右手は原爆を示し左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
是人種を超越した人間
時に仏 時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の希望の象徴
昭和三十年春日
北村西望


平和祈念像
この平和祈念像は、史上最大の惨禍によって瞬時に数多くの同胞市民を失い、筆舌につくし得ない悲惨苦に当面した長崎市民が、世界恒久平和の実現を広く世に訴えこの惨禍を再現せしめてはならないという切なる念願により、世界恒久平和のシンボルとして昭和30年(1955年)8月の原爆10周年記念日に建立されたものであります。
平和祈念像は、国内はもとより、海外からも拠出された浄財によって、彫刻界の権威、北村西望氏製作による全長約10mの青銅男神像であり、上方を指した右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は平けく安らけくと平和のすすめる姿であり、頑丈な体躯は絶者の神威を示し、柔和な顔は「神の愛」または「仏の慈悲」を表し、また軽く閉じた日は戦争犠牲者のめい福を祈っている姿であります。
なお、折り曲げた右足はめい想即ち静、立った左足は救済即ち動、何れも神仏の特性を表現したものであり本像はその規模において、またその思想において、この種の彫刻としては、世界にもその類を見ない雄大な芸術作品であります。
平和祈念像の前には朝早くから手を合わせている人の姿も。




広島へ原爆が投下された1945年8月6日の3日後、1945年8月9日にアメリカ軍によって原爆を投下された長崎。


原爆投下の範囲は広範囲に及び7万人以上の方が犠牲になられました。


朝早くに訪れたのでゆっくり見学することができましたが、日中になると学生さんをはじめ多くの人が平和祈念像を訪れています。


ゆっくり平和祈念像を見学したい人は早朝の訪問がおすすめです。



朝の早い時間帯は平和祈念像と朝日のコントラストがとても綺麗でした。


平和祈念像を作った人・作者


平和祈念像は長崎県出身の彫刻家である北村西望氏によって作られた作品で像の高さは約9.7m、重さは約30tにも及ぶ青銅製の像になります。



像の制作時の様子は下の動画で紹介されています。
平和祈念像はなぜあのポーズ?


空を指差す右手やまっすぐ伸ばした左手など独特のポーズをとっている平和祈念像。
それぞれのポーズには作者である北村西望氏による次のような意味が込められているようです。
右手と左手の意味
空を指差す右手は「原爆の脅威」
水平に伸ばした左手は「平和をすすめる姿」
足の意味
横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさ。
立てた足は救った命。
閉じた目の意味
軽く閉じた目には「戦争犠牲者の冥福を祈る思い」
作者である北村西望氏の思いが平和祈念像の台座裏に刻まれています。


平和祈念像のある平和公園
平和祈念像のある平和公園。
通勤・通学路にもなっているようで、地元の方にはとても身近な存在になっている平和祈念像。


この平和公園内には平和祈念像以外にも戦争に関連した様々なモニュメントもあります。


長崎の鐘
ここで亡くなられた方々の冥福を祈るために原爆投下の33回忌にあたる1977年に作成された「長崎の鐘」




平和の泉
水を求めながら亡くなられた原爆犠牲者の冥福を祈り1969年に作られた平和の泉









