北海道の苫小牧を訪れた時に初めて存在を知った鳥獣採集家の折居彪二郎。
とても面白い人物だったので調べた記録等を備忘録代わりに書き残しておきます。
ウトナイ湖野生鳥獣保護センターで知った折居彪⼆郎(ひょうじろう)
【車中泊で日本一周ひとり旅】の途中に訪れた北海道の苫小牧。
北海道へ訪れた時にいつも気になりつつ素通りしていた「ウトナイ湖野生鳥獣保護センター」へ。
ウトナイ湖やウトナイ湖周辺の自然を学ぶことができる当センター。
施設の一角に設けられていた「折居彪二郎コーナー」
初めて見る名前に興味を持ちコーナーをゆっくり見学することに。
折居彪⼆郎(ひょうじろう)とは?
折居彪⼆郎コーナーにある説明を見ると次のような説明があります。
鳥獣採集家・折居彪二郎
みなさん、折居二郎という方をご存知ですか?折居氏は1883年新潟に生まれ、1913年から1970年まで 87歳で近去するまでの人生の大半を、ここウトナイ湖畔で過ごしながら、学術研究のための鳥獣採集家として活躍しました。
1906年、イギリス大英博物館嘱託採集員マルコム・アンダーソンの助手として、朝鮮半島での動物採集を行ったのを機に鳥獣採集家の道を歩み始め、動物学者黒田長礼博士や鳥類学者山階芳産神士の依頼により、北は千島から南はニューギニアまでの広い地域で鳥想、物標本の抹果に従事し、東アジア地域の動物分類学に多大な貢献をされた、郷土の宝ともいえる人物です。
当館では、折居氏の業績を讃え、氏が生前に苫小牧市立中央図書館および苫小牧市博物館に寄贈された数百点におよぶ資料の中からごく一部を整理し、ここに紹介することにいたしました。世界を舞台に活躍した稀代の鳥獣採集家・折居彪二郎の生涯と業績を知るきっかけとなれは辛いです。
折居彪二郎 略歴 | |
---|---|
1883年 | 新潟県北蒲原郡笹岡村に生まれる |
1899年 | 北海道・函館に移住 |
1906年 | 朝鮮に渡り、採集活動を手がける |
1908年 | 中国山東省、千島に渡り採集を行う |
1909年 | 満州興安領、樺太に渡り採集を行う |
1911年 | 中国雲南省にて採集(鳥類約1,700点・ほ乳類約400点) |
1913年 | カムチャッカ |
1913年12月 | 函館から苫小牧村字植苗に移住 |
1921年 | 台湾~九州 |
1923年 | 琉球大東列島にて採集(鳥類1,621点・ほ乳類600点) |
1926年 | 樺太シベリアにて採集(鳥類1,200点・ほ乳類230点) |
1926年 | 北千島にて採集(鳥類708点、ほ乳類200点) |
1929年 | 朝鮮にて採集(鳥類1,942点、ほ乳類200点) |
1930年 | ミクロネシアにて採集(鳥類3,000点・ほ乳類1,000点) |
1932年 | 満州、台湾にて採集(鳥類1,500点、ほ乳類300点) |
1936年 | 大東列島にて採集 |
1936年 | 北海道 |
1939年 | 北海道 |
1941年 | 中国山西省 |
1944年 | 北海道厚岸、根室 |
1948年 | 日本鳥学会より、功績を讃え表彰される |
1958年 | 大日本猟友会より創立20周年を記念し、感謝状を受ける |
1970年 | 老衰のため永眠。享年87歳 |
研究者に頼まれ世界各地へ行き鳥や獣を捕まえ標本を作る「鳥獣採集家」
その存在自体初めて知りましたが、標本を作成する技術だけでなく動物を捕る技術も求められる狩猟採集家。
鳥や動物について詳しく狩り名人だった折居彪二郎はそのどちらにも秀でた能力を持っており、折居彪二郎の作る標本は「東洋のオリイ」と呼ばれるほど素晴らしいものだったようです。
現在ほど鳥学や動物学が進んでいなかった当時は体長、体重、羽毛の色といった動物の特徴が分かる標本は今以上に重要な役割があったようです。
折居彪二郎の作った標本は現在もイギリスの「ロンドン自然史博物館」や「苫小牧市美術博物館」に保管されているようです。
今度苫小牧を訪れた時は、ぜひ見学したいと思います。
イギリスも行ってみたい…
旅で出会えた折居彪二郎
苫小牧を訪れたことで初めて知ることができた折居彪⼆郎の存在。
自分の世界を広げることができる旅。
これだから旅はやめられません。
折居彪二郎について分かったことは随時この記事に追加していきます。