兵庫県豊岡市を訪れた時に大好きな空港巡りで立ち寄ったコウノトリ但馬空港を紹介します。
コウノトリ但馬空港 アクセス・駐車場
高速道路や新幹線が周囲にないことから建設が進められたというコウノトリ但馬空港


1994年に開港した空港で山間部を切り開いた山の上に建設されています。







読めそうで読めない字ですが但馬(たじま)と読みます


ターミナルビルの前にある広い駐車場は無料でありがたい。




コウノトリ但馬空港 ターミナルビル
決して大きい空港ではないコウノトリ但馬空港ですが、地元のお土産などもたくさん置いてあり地域密着の雰囲気が漂う空港内。









手作り感が良いですね


コウノトリ但馬空港のある兵庫県豊岡市はかばんが有名なようです。








空港巡りの大きな楽しみである展望デッキへ。






コウノトリ但馬空港は大阪の伊丹空港間を就航しており、全国の主要都市へ行く時は伊丹空港で乗り継ぐ必要があります。
今日はあいにくの雨模様で飛行機も夕方まで飛ばないようです。


地方も含め整備の進んだ道路網。近距離の移動で飛行機を使ってもらうには色々とアピールや工夫も必要なようです。


コウノトリ但馬空港 パイロット気分を楽しめるトイレ
何気なく立ち寄った空港内のトイレ。


よく見るとドアに飛行機のマークを発見。


トイレの個室内は飛行機の操縦席になっておりスッキリしながらパイロット気分も味わえます。





飛行機ファンにはたまらない眺め。
このトイレを見るためにコウノトリ但馬空港へ来るのもありかも…


コウノトリ但馬空港 火山
コウノトリ但馬空港のターミナルビル入り口近くにある大きな石。


よく見ると「火山弾」の文字があり火山の噴火で飛んできた石の説明があります。


但馬空港の敷地内には火山があります。この火山は、但馬空港の造成工事によって滑走路の南端部から発見されたもので、ここの地名をとって「上佐野火山」と名づけられました。この火山は神鍋山より前に噴火しました(約20万年前)。ここに展示してある石は、その噴火中に空中に放出されたもので、空港ができる時に記念として保存されました、どちらも火山弾というもので、どろどろの熱い溶岩が砲弾のように空中に吹き飛ばされ、冷え固まったものです。右の石は、落下した小さい火山弾が互いの熱で溶結したものです。左の石は1個の大きな火山弾で、着地してから変形した様子も見られます。
コウノトリ但馬空港の建設をきっかけに火山の詳細が分かったようです。


この地に火山があることは以前の研究で分かっていたが、どのような火山かは分かっていなかった。但馬空港の建設に伴い木や土壌が取り除かれ、火山の断面があらわになった。
この火山は「上佐野火山」と言い、約23万年前に活動していた。ここではマグマのしぶきが空中で冷え固まってできる“スコリア”や“火山弾”などとそれらが重なってできる「スコリア丘」、マグマの通り道「火道」、そこから流れ出た「溶岩」など、火口付近の様子が観察できる。


コウノトリ但馬空港 航空機展示スペース(YS-11、エアロコマンダー680FL)
駐車場の脇にある航空機展示スペースへ。




飛行機好きの人には嬉しいものが展示されており青い飛行機は日本初の国産旅客機 YS-11




日本航空機製造式 YS-11A-500R型
●国籍記号 登録記号:JA8734
●製造番号:第2103号(182機中、103号機)
●履歴:
1969(昭和44)年4月15日製造
1969(昭和44)年4月16日 全日本空輸(株)受領
1989(平成元)年4月10日 エアーニッポン(株)購入
1999(平成11)年2月17日 登録抹消
●総飛行時間:54,747時間16分
●総飛行回数:63,611回
●諸元:
全長26.30m
全幅32.00m
全高9.00m
巡航速度450 km/h
航続距離1,200 km
最大離陸重量25.00t
エンジン ロールス・ロイス ダートMK543-10K✕2 3,060 SHP
●乗員/乗客:2/64名
●構造:アルミ合金製セミ・モノコック構造
●製造会社:日本航空機製造(株)「三菱重工、富士重工、川崎重工、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機」YS-11は、戦後我が国で始めて国産された双発ターボプロップの中型輸送機です。
1959(昭和34)年設立された日本航空機製造(株)に航空メーカー6社が参画して本機の設計、試作を行い、1962(昭和37)年8月30日に名古屋空港で初飛行し、1964年(昭和39)年8月に型式証明を取得しました。
YS-11の開発目的としては、1,200mの滑走路を持つ飛行場で運航が可能である点に主眼が置かれ、開発には日本の航空界の総力が注がれました。
1965(昭和40)年9月、全日本空輸(株)の大阪~高知を皮切りに定期路線に就航、その後1978(昭和53)年4月には、日本近距離航空株式会社(現、エアーニッポン株式会社)路線でも運航を開始しました。
この展示機は、エアーニッポン株式会社のご好意により寄贈を受けたものです。
1999(平成11)年1月31日の壱岐~福岡の飛行を最後に退役し、同年2月12日但馬空港へ最終飛行したものです。
また、同型機は1973(昭和48)年までに182機が生産されましたが、この展示機は103号機です。
【名前の由来)
YS :昭和32年に旅客機を設計開発するために発足した「財団法人輸送機設計研究協会」のイニシャルです。
11:最初の「1」は、ダート系のエンジンの意味です。次の「1」は、主翼面積95m級の意味です。
東京オリンピックの1964年に就航を開始した飛行機でオリンピアとも呼ばれているようです。
1999年に就航を終えたようですが今見てもカッコイイデザイン。


郵便も運んでいたのでしょうか…


こんなに近くで飛行機を見ることができるコウノトリ但馬空港。飛行機好きの人にはたまらない場所かもしれません。


飛行機は2機展示されており、もう一機の機体はエアロコマンダー680FL


現在日本には1機しかないアメリカ製造の飛行機で、航空撮影に使われていたようです。




エアロコマンダー式680FL型
●国籍記号、登錄記号:JA5197
●製造番号: 1398-54
●履歴:
1964(昭和39)年3月18日 製造
1973(昭和48)年1月5日 日本登録
1988(昭和63)年7月1日 共立航空撮影(株)購入
1998(平成10)年10月15日 登録抹消
●総飛行時間:7,930時間25分
●諸元:
全長 12.58m
全幅 14.95m
全高 4.42 m
巡航速度 338km/h
航統距離 2,108km
最大離陸重量 3,856kg
エンジン ライカミングIGS0-540-BIAX2 380 HP
●乗員/乗客:2/10名
●製造会社:エアロコマンダーINK (アメリカ合衆国)680Fは、次のような空力的性能を持ち、エアロコマンダー・シリーズの決定版となっています。
・薄いエンジンナセル自体が揚力を発生します。
・オーギュメンタ式の排気管は、翼上面に開口し、場力の増加と騒音の低下に寄与しています。
・主車輪は、90度回転して薄いナセルの中に引き込まれます。
680FLは、680Fを基本にコミューター機とした改良モデルで 1963(昭和38)年に発売され、ストレッチされた胴体により最大10名の旅客を搭載できます。
双発機の胴体をストレッチしてコミューター機とすることは広く行われていますが、このクラスのビジネス機に実際に適用したのは、本機が最初でした。
また、日本にはこの1機しか存在せず、航空撮影用として使用されていましたが、共立航空撮影(株)のご好意により寄贈を受けたものです。1998(平成10)年9月22日九州方面の撮影飛行を最後に退役し、同年9月26日但馬空港へ最終飛行したものです。
尚、本機がアメリカ合衆国で活躍していた頃には、西部劇の名優「ジョンウェイン」の自家用機として使用されていたとの噂もあります。
2機並ぶと中々の迫力。

